過去/未来は同居してる─いま目の前で
ヤバい映画と出会っちゃいました。
『アメリカン・アニマルズ』
“American Animals”
予告編
公式サイト
http://www.phantom-film.com/americananimals/
日本公開は いよいよ本日5/17(金)から。
それに先駆けて、幸運にも
本作のバート・レイトン監督ご本人が登壇した、特別試写会に参加して
いち早く観ることが出来ました!
とにかく。
最高。
映画って、こんなこと出来ちゃうんだ!と、
痛快に度肝を抜かれた。
傑作。
既存の「映画とは、こういうものだ」「真実を語る時は、こういう形にするものだ」という概念を根底から刷新して、よくある「“Based on”a true story (実話に“基づいた”作品です)」の言い訳を取り払って、傲慢でない“This is a true story (これは実話です)”に到達した金字塔的作品。
今まで何千本映画を観たとしても、この作品を見ずに、今のこの時点で「映画」を語ることは出来ない(語ったことにはならない)だろう。
表面的な“評論”や“感想”のために観るのではなく、「自分事」として「体験」「感じること」が出来た時に初めて、この映画の真価に触れると思う。
斬新なスタイルが目を惹くが、奇をてらって創るのが目的ではなく、あるべきものを、あるべきところに、あるべき形で置くことに誠実に専心した結果であることは、出来上がったシーン達の至る所に見られる繊細な表現から、十二分に感じ取れる。
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“真実”は時間軸・時系列に囚われない。
当時の実際の「現実」の画面の一部に、現在から見た証言・記憶・幻想が違和感なくシャープなスタイルで挿入されながら“PLAY(再生)”される、前半の「事の起こり」部分の高揚感は、まさに当時の当事者たちが体験していたであろう高揚感そのまま。笑いも交えながら、バックを彩る絶妙な選曲群も不可欠な要素。
そして、事件実行の辺りからの焦燥感・迷い・絶望のカラーを纏う後半は、グッとトーンがシリアスになるが、これも当時の本人達の心情そのものを感じさせ、この後半があるからこそ、事件全体・映画全体がファンタジーで終わらない、エモーションと繋がるリアルなものとして深まる。
変に色を付け過ぎないエンディングも秀逸。事件全体を単なる“見世物”にせず、実行者・周辺者の双方が負った傷にも配慮しながら、それぞれが行き着いた“現在の決断”を、結論を押し付けることなく差し出す。
そして何より、最初から最後まで、その“真実”の提示の仕方にワクワクが止まらなかった。心の掻き乱しが止まらなかった。
試写後、バート・レイトン監督が登壇のトークショー。
ご本人の “イイ人” ぶりに感動 ^ ^
作品の至る所(特に繊細なポイント)に見受けられる、
“この事件「そのもの」を表現しよう”とする誠実さは、
監督のパーソナリティから来ていることを確信。
家族含む事件当事者からの信頼も納得。
監督が言っていた、
「よくある “Based on” a true story (実話に“基づいた”作品です)の文言は、作り手側の言い訳」
という発言。
本編でもポスターでも明言されている、
“This is not based on a true story” (これは 実話に基づいた作品です)
ならぬ
“This is a true story.” (これは実話です)
の文字。
別に「これのみが真実だ」という傲慢さからの言葉ではない。
(それは、本編の描き方を見れば、誰の目にも明らか)
我々が思ってる“事実”は移ろいやすい、ということを根底に据えた上で、
誠実に「起こったこと」を紡いでいく。
この “これは実話です” という高らかな宣言は、伊達じゃない。
監督のトークも、とにかく濃い・深い話ばかりで
興味が尽きなかったが、
(約30分位しかなかったのが非常に残念;;)
中でも印象に残ったのが、
「事件の被害者の女性が、この映画を観て ようやく、
犯人の学生たちを赦す気持ちが芽生えたと言ってくれた」
というエピソード。
実際に精神的・身体的なダメージを負った被害者に
そんな心の変化を起こすことは、
並大抵のことではない。
実際の事件が、非常に痛みを伴う結末だっただけに
このエピソードを聞いて、ほんの少し安堵感を得ると同時に、
この作品の素晴らしさ、この作品が生み出す影響を
端的に示す逸話だと思う。
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とにかく、
最高の映画体験… いや、“現実体験”。
劇場で “経験” して欲しい。
必見です。
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では また、スクリーンでお会いしましょぅ〜
See you on the Screen!!! ☆☆☆
ジョニー